合鴨米(あいがも米)と父の歴史

合鴨米(あいがも米)の歴史

合鴨米の歴史は古く、天下統一をした歴史上、知らない人はいないほど有名な戦国武将、豊臣秀吉の時代から合鴨を使ってのお米生産、合鴨農法が始まりました。さかのぼる事、平安時代頃に中国からアヒルやアイガモが渡来した。以降、日本に合鴨が定着し、安土桃山時代には豊臣秀吉がアイガモ農法を奨励したことが記録されています。このように合鴨を使った合鴨農法は古来より用いられ、現代にその伝統が受け継がれてきています。

合鴨農法でお米の生産をする事で、歴史の伝承ができ安心なおいしいお米を作る事ができます。

父の歴史

昭和25年に茨城県に生誕後、農家に生まれ代々から受け継がれてきた畑を守ると共に農業に関する様々な勉強、知識を得て農作物を有機農法(有機栽培)に興味を持ち始め、力を注ぐ。その努力が口コミで広がり、東京農大の学生さんからの研修の依頼を受け入れ、後に学生さんの一人から合鴨農法を父の畑でやってみたいとの強い気持ちに賛同(最初は戸惑いもありましたが)し、お米作りに合鴨農法を取り入れ実験、幾度の失敗を繰り返し、合鴨農法を成功させる。

合鴨(アイガモ)農法の取り組みと実現に伴い、読売新聞掲載二度、毎日新聞掲載、地域誌発行(JA北つくば)ステップにも掲載されました。

茨城の土地、片田舎で合鴨農法が成功したのは学生さん達のアイデアと父の惜しまない日々の努力によって出来た物です。合鴨農法成功後に、大手新聞社 の読売新聞、毎日新聞、地域詩にも掲載紹介された事により、合鴨農法に興味のある方々からの強い要望もあり、合鴨農法の先生として竜ヶ崎からのお米生産者 に合鴨農法のノウハウを伝授する。

現在も合鴨を使った合鴨米(愛カモ米)を作り続けています。

その他にも、茨城県筑西市の片田舎では梨の生産が全国的にも生産量が第2位(現在)と、梨(和梨)の生産地としても有名な場所です。品種で見ると茨城は豊水に関しては全国生産量第1位の実績もあります。

実家の両親は、合鴨農法の他にも、梨の生産(幸水・豊水・あきづき・新高・新興)も農業に取り入れて日々頑張っています。

茨城の梨

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